わかるわかる、言いにくかったですよね。
お客さんが本当に少ない館だし、ましてや7階と上階なのもネックになってしまったのかも。
ただ、渋谷西武ってそもそもそういうタイプの集客をする館ではなかったはず。
かつてを知っている方なら誰もが、うっすらと感じていたのではないだろうか。
「そもそも渋谷西武って、大勢の客がわんさか押し寄せるような場所だったっけ?」と。
それは渋谷の喧騒に囲まれたエアポケット
スクランブル交差点の圧倒的な人波。
インバウンド観光客で溢れかえる街の熱気。
若者の熱量。
そのすぐ目と鼻の先にありながら、西武渋谷店という館は、驚くほど静かで、洗練された空間を保ち続けていた。
かつてのセゾングループ時代から、ここは単なるファミリー向けのデパートではなく、先端のカルチャーやファッションの発信地。
客層を問わず大衆を呼び込んでごった返すことよりも、感度の高いリピーターやクリエイターに鋭く刺さることを優先してきた歴史がある。
かつてのトレンディドラマ『君の瞳をタイホする!』では、かつてのシード館の販売員という役を石野真子が演じていたらしい。
CAPSULEという、当時の新進気鋭のデザイナーが作った洋服たちが集まる売り場があった。
イッセイミヤケや山本寛斎が名を広めたきっかけというだけでも、地方の百貨店とは格が違うことが伝わるはず。
混雑を避けて上質な買い物を楽しみたい大人にとって、あの静けさは寂れではなく、むしろ贅沢なエアポケットだった。
今でも、人が少ないからゆっくり買い物ができたのに……という声は耳にする。
「催事」は本当に必要だったのか
家電量販店の関係する会社に売却されたことで決まったと思われる今回の閉店。
たしかにお客さんは少ないから、売上も作る現場は大変だったと思う。
「売れてなかったから仕方ないよね」
そういう声も多い。
実際に常設の販売員だったら、どんなにSNSなどで手を尽くしても辛かっただろうと察する。
撤退で売場に穴が空く。
そうなると、埋めるしかない。
売上のためだ。
そこで登場するのが、催事を主とする取引先だ。
一般的な百貨店の催事といえば、北海道物産展のように大勢の人が押し寄せる。
「圧倒的な集客数×低〜中単価」で回すのが、こういった催事の基本モデルだ。
一方、渋谷西武が培ってきたのは「厳選された客層×高単価・デザイン性」。
ただし、閉店が決まるとそうも言っていられない。
テナントの撤退が相次ぎ、空いてしまった売り場を埋める苦肉の策として催事ができる業者を誘致したのだろう。
そこに、館の空気感と催事業者が求める集客像との間の、埋めがたいギャップが存在していたのかもしれない。
館のブランディングを守るなら、変に埋めて格を落とさず潔くフロアごと閉鎖するという判断だってあったはずだ。
あるいは、売上なんて端から諦めて、若手アーティストの展示やデザイン系教育機関の卒業制作展など、セゾンDNAを継承したアートの館に全振りする方法だってあっただろう。
かつてのCAPSULEのように、次世代のアーティストやデザイナーが好きに作品を生み出してショーをする。
あのA館とB館を結ぶ渡り廊下、ランウェイにもってこいと思えてならない。
テンポゆっくりめのLo-Fiを流し、ガラス越しに渋谷の街並みを見下ろしながら、ストリートとモードが交差するメンズやウィメンズのショーを行う。
あくまで私のセンスだが、そんなロマンあふれる美しい散り際を見たかったと思うのは、わがままだろうか。
アニメやネット派生キャラでは補えない、ファッションを魅せる館を見たかった。
実際に売場に立ったから思うこと
実は私自身、少し前にその渋谷西武で販売をしていた。
婦人靴の催事だ。
結果から言えば、まったく売れず。
7階だろうと、下の階だろうと、どこでも売れないのだなと痛感した。
売れないよとは他の業者から聞いていたので、ある程度腹をくくって立っていたが、やはり胃は痛くなった。
催事向けにと準備した比較的単価の低いものは、驚くほど手にとらない。
渋谷西武の顧客は、価値を感じるかや感性にフィットするかで買い物をしている印象があった。
安さなんて武器にもならない。
そして何より印象的だったのは、お客さんの上質さだ。
とても上品で、われわれのような初見の販売員でもリスペクトをもって接していた。
いわゆるカスタマーハラスメントとは、完全に無縁の世界。
長年、洗練された大人の百貨店であり続けたからこそ根付いていた、渋谷西武を愛する人たちが確かにそこにいた。
それゆえ、現場に漂っていたのは猛烈な疲弊感。
準備や搬入にコストをかけ、期待をこめる催事業者。
売り場を埋めたものの、客足が伸びず途方に暮れる館のスタッフ。
そして、どこか違和感を覚えながら通り過ぎる顧客。
誰も幸せにならない。
こんなに現場も運営側も消耗するくらいなら、無理に催事なんてやらなきゃよかったのでは。
それでも、西武側の現場管理職を思うと、埋まっていればいいという程度だったのかもしれない。
美学を残して幕を引くことを許してほしかった
時代の変化や目まぐるしい渋谷駅周辺の再開発の波。
その中で、ビジネスとしての数字を追い求めなければならなかったゆえの決断は理解できる。
私も、地方の百貨店で閉店を経験しているから、他の百貨店人よりは共感できるつもりだ。
しかし、効率や坪単価という冷徹なExcelの数字を追いかけるあまりに残った結果が現場の疲弊だったのなら、それはあまりにも切ない。
無理な悪あがきをするのではなく、最後までプライドと美学を持って佇んでいてほしかった。
百貨店という大きなくくりではない「シブセイ」の持つカルチャーを尊重してもらえない歯がゆさを感じながら、渋谷西武に思いを馳せる。