日々の綴り

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地名の間違いと文化の違い

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」

父は、漢字があまり得意ではありませんでした。

勉強はできたほうだと自負しているが、中卒で東京に出てきて板前になった人。

幼いながらもそれに気づいた私は、両親にそこまで期待していなかったのも事実です。

 

特に地名の間違いは数知れず。

寒河江を「さむかわえ」と読み、浜離宮を「はまりぐう」と読む人です。

「はまりぐう」は、中学生になる前に違うことに気づきましたが、「さむかわえ」は高校生くらいまで間違いであることに気づきませんでした。

 

自分が正しいと思う父と逆らえない母の下で育ったので、こういった間違いを指摘する人がいるわけがありません。

間違いの指摘はもちろん、自分を否定するようなことを言われると、誰彼構わずすぐに激昂するので、そのまま後期高齢者になろうとしています。

 

そんな今、私も2児の母です。

私は子どもたちにこう伝えています。

「親なんて完璧な人ではない」

 

普通は普通ではない

 

私は、父親の言うことに逆らわない家庭で育ちました。

これが間違いでも正解でもないと思います。

 

ただ、よく耳にする「常識として……」「普通は……」。

この常識や普通は、その家庭で形作られるものだと思います。

 

たとえば、誕生日のお祝い。

私の家庭は、誕生日当日に祝えないなら過ぎてから祝いなさいと教えられてきました。

ところが、夫の家庭はお祝い事はすべて事前に済ませるもの。

こういった考えの家です。

 

お祝い事は前に済ませるというのは、たしかに他人との話題でも出てくることが多いように感じます。

ただ、私の場合は裏付ける理由の説明がありました。

 

「もし、前祝をしてその直後に事故などで亡くなってしまったら?

その年齢を迎えられなかったらお祝いする意味がないでしょ?

だから誕生日だけは、当日祝えないなら、その人がその年齢になった後に祝ってあげなさい」

 

もちろん、ある意味で他人である夫の母にはそのことを話しません。

70代の人に説明しても、受け入れてもらえる気がしませんからね笑

 

また、私の中で普通だと思っていたことはいくつかあります。

自分のルーツです。

 

私の家庭は、父がよく自分の先祖について話していました。

うちの先祖は富山から。

おばあちゃんは観光タクシー会社のお嬢様だった。

お墓は代々どこそこの寺に建てている。

 

ルーツというか、そういった成り立ちをふんわりとでも知っているのが普通と思っていたので、夫の父が亡くなった時はとても困りました。

そういったことを聞いたことがなかったのだそうです。

 

おかげで改正原戸籍などの取り寄せに、とても苦労しました。

そうでなくても、戦後直後の生まれ。

夫の祖父や祖母は、どこで疎開していたのかなど、まったく情報も手掛かりもないので、かなり時間がかかりました。

それをなぜ、妻というか嫁の私がやっているのかも謎でしたが。

 

学校やバイト先、社会人になれば職場でいろいろな人と交流することで、普通が普通なのかが疑わしいと思うことがあります。

そのたび思うのです。

 

普通は普通ではないのかもしれない、と。

 

常識も一度疑っていいのかも

 

この子どもたちも、4月で小学校高学年。

子どもたちには、こう伝えています。

 

親が言っていることも先生が言っていることも友達が言っていることも、それが100%正しいわけではない。

 

親だって人間ですからね。

間違うこともたくさんあります。

その中で、自分が正しいと思うものを選んで進んでほしいと願う日々です。

 

まず、地名は正しく覚えましょう!